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大阪高等裁判所 昭和61年(う)165号 判決 1986年7月17日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役五年に処する。

原審における未決勾留日数中一四〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人西元信夫作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官松原正大作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

一控訴趣意第一(事実誤認と法令適用の誤り)について

論旨は、要するに、原判示第二の事実について、被告人としては、当時、両手で被害者の頸部を絞めつけた時点において殺人が既遂に達したものと思い込んでおり、したがつて、原判示の財物は、強盗が被害者を殺害したように見せかけるため、単にこれを窃取したに過ぎないのに、原判決がこれを「同女が前記一連の暴行により失神し、反抗を抑圧された状態にあるのに乗じ」て強取したものと認めたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたもので、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判示第二の事実中殺人未遂の部分については、被告人が包丁で殺意をもつて被害者の頸部を突き刺したとの点を含め、原判決挙示の関係証拠によつて優に肯認できるけれども、財物強取の点は、これを認めることが困難といわなければならない。

すなわち、右証拠によれば、被告人は、原判示強姦致傷の犯行の直後、その事後処理について考えあぐんだ末、被害者を殺害して右犯行の発覚を防止しようと企て、殺意をもつて原判示のとおりパンティストッキングや両手で同女の頸部を絞めつけたところ、同女が失神するに至つたこと、そのため被告人としては、同女の様子から同女が死んでしまつたものと思い、今度は右一連の犯行につき自己の犯跡を隠蔽する方策として、原判示「甲」に押し入つた強盗が金品を奪取して同女を殺害したように見せかけようと企てたこと、そこで、同店内を物色したうえ、店内にあつた同女の所有または管理にかかる原判示の金品を所携のショルダーバッグ内に詰め込んだこと、ところが、右物色中、被告人は、被害者がいまだ完全には死んでおらず、後刻息を吹き返すのではないかとの不安の念にかられ、右物色のかたわら、同店内にあつた原判示文化包丁を取り出して準備し、右金品をショルダーバッグ内に詰め込んだ後、同女殺害を確実にし、とどめを刺す意図のもとに、右包丁をもつて、失神したまま同店内の床に仰向けに転倒している同女の前頸部を斜め上から二回突き刺したこと、そして、同女の返り血を浴びたことなどから驚がくし、右のショルダーバッグを持つてあわてて同店を立ち去つたが、結果的には同女に加療約二〇日間を要する前頸部切創等の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかつたことがそれぞれ認められ、被告人の原審及び当審各公判廷における供述中右認定に反する部分は、被告人の捜査官に対する各供述調書の記載等に照らし、とうてい措信することができない。

ところで、所論は、右の包丁で突き刺した点につき、これを殺意のない単なる擬装工作の一手段というのかどうか、その趣旨は必ずしも明確でないが、右の事実に徴すれば、被告人が殺害の犯意を継続して被害者にとどめを刺す意図のもとに右の行為に及んだことは明らかであるから、右の点を含め被告人の強盗の点を除く本件殺人未遂の犯行についての原判決の認定は正当というべきである。しかしながら他方、財物強取の点については、右の事実関係のもとにおいて果たして原判示のように「同女が前記一連の暴行により失神し、反抗を抑圧された状態にあるのに乗じ」たものと認められるかどうか、甚だ疑問といわなければならない。けだし、自己の先行する暴行により被害者が反抗不能の状態に陥つた後はじめて犯意を生じてその所持する金品を奪取する行為が強盗罪を構成する場合のあることは、一般論としてはこれを是認できるにしても、それは、あくまでも被害者の畏怖状態を利用し、またはこれに乗ずる意思でした場合に限られるべきであつて、本件のように被害者が失神し、犯人としては不確実な認識ながらもむしろ被害者が死んだものと思つている状況のもとで、その所有または管理にかかる金品を盗取した場合には、必ずしも右の畏怖状態を利用しまたはこれに乗ずる意思及びその事実があつたものとばかりはいいきれず、結局本件においては、被告人の盗取の犯意成立前の暴行を法律上財物を奪取するための暴行と同一視することは相当でないと考えられるからである。したがつて、この点の原判決の認定には事実誤認の疑いがある。

のみならず、所論には指摘されていないけれども、本件においては、そもそも盗犯の成立に必要とされる不法領得の意思も、これを認めることが困難というべきである。すなわち、一般に不法領得の意思とは、「権利者を排除し、他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用しまたは処分する意思」をいうものと解されているところ、これを本件についてみるに、原判決挙示の関係証拠によれば、なるほど被告人は、被害者所有にかかる現金一二万〇、五〇〇円等在中の布製バッグなど原判示の金品の一部を自宅に持ち帰つていたこと、また被告人は、原判示の金品のほかに、わざわざ被害者が当時腕にはめていた女物腕時計をも持ち去ろうとして、これを腕から取り外すなどの挙に出ていることがそれぞれ認められ、これらの事実はいずれも本件における被告人の領得意思の存在を強く窺わせるものではあるが、他方、被告人は、当審公判廷において、右の領得意思の存在を否定する供述をしているのであつて、現に被告人の捜査官に対する各供述調書等によれば、被告人が原判示の金品を持ち去つたのは、あくまでも自己の犯跡を隠蔽するところにその眼目があつたこと、また搬出品の中には、例えばビール瓶の破片やコップなどのように、被告人の本件犯行を裏付ける証拠品とはなりえても、それ自体財物としての価値がないか若しくは極めて乏しいために、もともと経済的用法に従つた利用等が考えられない物が多数含まれていること、そして被告人は、本件犯行後の逃走中ほどなく右搬出品の一部を道路脇の側溝に投棄しているが、その際、自己の先行する犯行には全く関係がなく、しかも経済的価値の高い男物腕時計をも共にこれを投棄していること、そのうえ被告人は、本件犯行時自己の所持金として現金約三万八、〇〇〇円を持つていたもので、格別金銭的に困窮した状況にもなかつたことがそれぞれ認められるところであるから、これらの事実をも併せ勘案すると、前記金品は当初そのすべてを投棄する意図のもとに持ち去つたが、その後投棄の段階で気が変わり、現金等在中の布製バッグを持ち帰つたとする被告人の弁解供述にも、むげには排斥できないものがあり、そうした場合、被告人の当初の領得意思の存在はこれを認めることができないのであつて、結局本件においては、この点についての証拠が薄弱というほかない。

そうすると、本件公訴事実第二のうち、財物強取の点については、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、本来証拠不十分としてこれを認めるべきではなかつたのに、右の点をも肯認したうえ、その身分を有する者の犯した殺人未遂すなわち強盗殺人未遂罪の成立を認めた原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実を誤認し、ひいては法令の解釈、適用を誤つたものであつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により破棄を免れないが、原判示第一の罪はこれと併合罪の関係にあり一個の刑を科せられるべきものであるから、その全部を破棄することとする。論旨は理由がある(なお、被告人の領得意思の存在を前提とする検察官の答弁が前示のとおりその前提を欠き失当であることはいうまでもない。)。

二破棄自判

以上の次第であるから、控訴趣意第二(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法四〇〇条但書を適用して、当裁判所において、更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判示第二事実を、「右犯行の直後、事後処置について考えあぐんだ末、同女を殺害して犯行の発覚を防止しようと企て、殺意をもつて、同店内の床に仰向けに転倒している同女の頸部に、同女から脱がせた前記パンティストッキングを巻きつけて力一杯絞めあげたが、パンティストッキングがちぎれたため、更に両手で同女の頸部を絞めつけ、なお、とどめを刺す意図のもとに、同店内にあつた刃体の長さ約一六センチメートルの文化包丁(当庁昭和六一年押第七一号の一)で、同女の前頸部を斜め上から二回突き刺したが、同女に加療約二〇日間を要する前頸部切創等の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかつた」と変更するほか、原判示罪となるべき事実と同一であるから、これを引用する。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一八一条(一七九条、一七七条前段)に、判示第二の所為は同法二〇三条、一九九条にそれぞれ該当するところ、各罪の所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、右は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一四〇日を右刑に算入することとする。

なお、本件公訴事実中強盗殺人未遂の点については、前示のとおり強盗についての証明が十分でなく、殺人未遂罪のみを認めることとするが、右は一罪の一部につき特に主文において無罪の言渡はしない。

(量刑の事情)

本件は、被告人が雇主に連れられて行つたスナックで飲酒中、同店のママである被害者のちよつとした嬌態から同女に興味を抱いて情欲を募らせ、種々画策して同女と二人きりになつた後同女に情交を迫つたが、抵抗されたため、強いて姦淫しようとして灰皿で同女の顔面を殴りつけるなどの手酷い暴行を加えたものの、同女が頭から血を流して人事不省に陥つているのを見て驚がくし、恐怖心から情欲を失つて姦淫を止めた強姦致傷と、右犯行後自己の犯行の発覚を防止するため、同女を殺害しようと決意し、同女の頸部をパンティストッキングで絞めあげるなどしたうえ、更にとどめを刺す意図のもとに、包丁で同女の前頸部を二回突き刺したが、未遂に終つた殺人未遂の各事案であつて、各犯行とも自己中心的で動機に酌むべきものがなく、またその態様も甚だ狂暴かつ残虐であること、更に本件各犯行により被害者及びその夫の受けた衝撃は大きく、被害者は長期間にわたり傷害の後遺症にも苦しんでいたことなどの事情に徴すると、犯情まことに悪質で、被告人の刑責はきわめて重いというべきであるから、本件が姦淫及び殺害のいずれについても未遂に終つていること、当時被告人は多量に飲酒しており、そのために平常に比して理性が多少低下していた状態にあつたこと、被害者との間でその要求どおり治療費及び慰藉料として約五二〇万円の支払をして示談が成立し、被害者も現在では被告人に対する寛大処分を望んでいること、被告人にはこれまで前科前歴がなく、社会生活の面でも格別問題性の見当たらないこと、その他被告人の家族関係や反省の念など所論指摘の被告人に有利な諸事情を斟酌しても、主文掲記の刑はやむをえないものと考えられる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官白川清吉 裁判官白井万久)

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